テイストで走らせたXJRレーサー車両

前回は、いつにも増して真面目にレースの事を書きましたので、テイストついでに、今までにテイストというレースで走らせてきたXJR1200とXJR1300レーサー車両を、思い出しながらご紹介しようと思います。

実を言えば、初めてテイストというレースに出場したのは、XJR1200ではありませんでした。カワサキのニンジャでした。カワサキ車両の知識はほとんどありませんが、「GPZ900R」という車名だったと思います。

当時はまだ「テイスト・オブ・フリーランス」という名称のレースでした。確か1993年頃だったと思います。友人の紹介で、乗らせて頂くことになりました。

この友人、今では『カワサキと言えば、RSイ○ウ』と言われるくらい、カワサキ系の有名ショップになりましたが、当時はただのレース好きなバイク屋の兄ちゃんでした。

ちなみに、たった1回だけ出場した8耐も、カワサキ車でした。もちろん、チームは『RSイ○ウ』です。カワサキ車でレースに出場した事はほとんどありませんでしたが、肝心なところでカワサキ車に乗っていたんですね。

1997年鈴鹿8時間耐久

1997年鈴鹿8時間耐久

当時は、確か車両は750ccでした。決勝レースは、生憎1日中雨でした。雨は好きではありませんでしたが、レース結果はドライのレースよりも良くなることが多かった気がします。ドライでは速くて相手にもしてくれないライダーが、雨だと近づいてきて抜けたりします。

8耐の決勝レース中、今のヤマハの監督が後ろに迫ってきて、青旗も振られましたので、ラインを譲って先に行かせようとしました。しかし、コーナーを3つほど走っても、なかなか前に行ってくれません。ヘアピンでインをたっぷりと空けて、左手を振って先に行け!と合図をすると、プルプルしながらやっと抜いて行きました。よほど使っているレインタイヤが使いづらかったようです。

いろいろとありましたが、無事に完走できて嬉しかったのを覚えています。初めて鈴鹿8耐を見に行ってから、十数年が経っていました。車検場の裏で、一人で花火を見ながら感傷にふけっていると、空気の読めない後輩君が大きな声で、『高野さん、こんなところにいたよ~!』と叫んでいました。いい雰囲気が台無しになりました。

ちょっと話がそれました。XJR1300のテイストレーサーに話を戻しましょう。


XJR1200、その1

1994年に発売されたXJR1200を、発売後すぐに購入し、程なくして筑波サーキットを走るようになりました。ですから、1995年頃にはもうレースに出場していたと思います。

初期の頃のXJR1200

初期の頃のXJR1200

両方ともに、レースに出始めて間もない頃の写真です。よく見ると、大きなRフェンダーまで付いています。Fフォークもホイールもノーマルです。よくあの重いXJR1200の純正ホイールで走ったものです。Rホイールは、持つと身体が斜めになるほど重かったです。鉄製かと思えるほどでした。

Rサスはクァンタムに、ブレーキキャリパーはブレンボになっていますが、最低でもそれくらいしないと、サーキットをまともに走れませんでした。

Fフォークには何の調整機能もなく、アフターパーツなんていう物もありませんでしたので、いろいろと苦労しました。とにかく柔らかくて動き過ぎるFサスを固くしないことには、どうにもなりません。ブレーキをちょっと強く掛けるだけで底付きです。バンク角も足りません。コーナーリングも全く安定しません。

確かゼファー1100用として売っていたスプリングを購入し、適当な長さに切って使いました。線径も太く、見ただけで純正スプリングよりも遥かに硬いことが分かりました。

XJR1200の純正スプリングよりも長くしたので、バネが硬いことも相まって、バネを入れた後にフォークキャップを締めることが出来ません。一人では無理でした。毎回二人がかりで上からキャップを押さえつけながら回し、やっと締めていました。

マフラーは、車両を購入する際に『RSイ○ウ』の店主が勝手に付けた「SP忠男」製品が付いています。性能云々よりも、バンク角が足りませんでした。

キャブレターは、既にミクニTMRを使っています。当時からなので、もう25年は使っていることになります。○島さん、長い間ありがとうございます。お互いに歳を取りましたが、もう少しお付き合いくださいね。

オイルクーラーも、既にスズキの油冷用ラウンドオイルクーラーが付いています。筑波を走るようになってすぐに、アフターパーツに交換しました。しかしある暑い日の走行時、油温計の数字が『130°の赤い点滅』で表示されて、熱ダレでパワー感も無くなりました。これではダメだなと考えて、当時一番大きかったオイルクーラーを取り付けたのです。

クァンタムのRサスですが、当時まだオーリンズにXJR1200用の設定が無かったので、これを選んだ気がします。クァンタムにも、長年に渡り本当にお世話になりました。

サスペンションは、その車種用の設定があるといっても、「取り付けられる」程度のもので、微調整だけではどうにもなりません。シムの組み合わせや調整から全長、バネの長さや硬さまで何度も変更・調整して頂き、本当に使いやすくなったものです。こんなオッサンのために、本当にありがとうございました。今でもO/Hしながら、大切に使っています。

カラーリングですが、ピンクに塗装したことは覚えています。どうせ転倒して、タンクは凹みキズだらけになったので、それを隠すために塗ったのでしょう。このピンクに塗装したタンクは、パテで重くなっていたのは間違いありません。

エンジンは、既に排気量アップなどのチューニングはしていたと思います。テイスト初期ですが、一緒に走る車両はどれもパワーがあり、ストレートでは付いていけませんでした。お手本になるような車両もデータもありませんでしたが、とにかく何かしないと!!という気持ちで、エンジンをイジっていたと思います。


XJR1200、その2

初期の頃のXJR1200レーサー

初期の頃のXJR1200レーサー

「その1」から、ちょっとだけ時間が経って、ちょっとだけオートバイも変わっています。カラーリングは2枚で若干違っていますが、大した意味はありません。

この当時は、まだ街乗りと兼用でした。ツーリング写真には、この頃のカラーリングで写っています。面倒腐がらず、よく筑波用から街乗り用に保安部品を付けていたものです。まあ1台しかありませんでしたので、ツーリングに行くにはやるしか無かったのですが・・・。

「その1」から変わっているものの筆頭は、やはりマフラーでしょう。当時、カスタムなどにちょっと詳しい業界人なら、『小林マフラー』とか『小林管』で通じたマフラーです。厚木にある「NGC-JAPAN」の小林さんが作ったチタンマフラーです。

小林さんが昔に作っていたタイプで、数年前にサイレンサー修理におジャマした際、エキパイを1本作り直して下さい、とお願いしたら、「そんな古いタイプはもう作らん。新しい物を作れ!」と言われました。これが好きなのですが・・・。昔を知るおじさん達は、その集合部を見ただけで『小林管』だと分かります。

まだ大事に使いたいのですが、パイプに数箇所、クラックが入っています。誰か直してくれませんか?

その他では、オーリンズのステアリングダンパーが付いているのと、Rホイールが変わっているくらいでしょうか。

エンジンは、1200ベースの時には苦労しました。ピストンは数種類使ったと思いますが、その中でも一番長い期間使ったのは、確かコスワースの80ミリだったと思います。

スリーブを製作してシリンダーに打ち替えた上で、コスワースの80ミリを使っていました。ボーリングだけでは、スリーブの肉厚が薄くなりすぎるからです。

ピストン交換だけでは、圧縮比は大したことありませんでしたので、ヘッドを面研磨して圧縮を上げていました。カムシャフトは、当初はヨシムラを使っていましたが、発売間もないミハラ製を購入し、それは今でも大事に使っています。

当時はまだ街乗り兼用でしたので、セルモーターもジェネレーターも取り外してはいませんでした。年中ヘッドガスケットが吹き抜け、クラッチは滑り、いろいろなトラブルもありました。お手本になるような車両もなく、データもなく、情報もなく、アフターパーツさえ殆ど無い状態でしたが、今思い返せば、楽しくレースをしていました。


XJR1300

XJR1300レーサー

XJR1300レーサーでの走り

XJRでのレース後半にはベースに1300を使い、街乗り兼用ではなく完全なサーキット専用車両にしました。それだけで、随分と自由度も上がったものです。そりゃそうです。保安部品を付ける必要もなく、押し掛けすればセルモーターも必要ありません。

エンジンは、トラブルが起こる度に当然ですがバラします。そのついでに、時々ですが仕様も変えてみました。本当はパワー優先にしたかったのですが、メンテナンスのサイクルや部品代、その他の事情もあり、パワー最優先には出来ませんでした。

そもそもこの頃は、ショップワークスという言葉も出来たほど、労力やコストを注ぎ込んだレーサーマシンが有力ショップで製作され、ライダーを雇って走らせることも多くなりました。車両もライダーも、私たちでは勝負になりません。

私も同じようなスタンスでレースをしている、と思われたこともありますが、全くそんなことはありません。いろいろとサポートはして頂いていましたが、肝心のエンジンは全て私の作業でした。ですからこの頃には、既にエンジンの積み降ろしはいつもの慣れた作業でした。

仕様は1200の時と比べ、いろいろと変わっています。1300エンジンでの覚えているチューニング内容を、ちょっとご紹介します。

  • セルモーター取り外し
  • ジェネレーター取り外し
  • ハイボチェーン、スタータクラッチ取り外し
  • クランクシャフト軽量バランス加工
  • シリンダー圧縮抜け対策(リング用溝加工)
  • ミハラワイセコ79mmピストン
  • シリンダーヘッド加工
    • 面研磨
    • ポート拡大加工
    • インシュレーター拡大加工(FJ用)
    • ミハラカムシャフト
    • バルブ鏡面仕上げ
    • バルブスプリング変更
    • インナーシム化
    • バルブタイミング調整
  • ミクニTMR41φキャブレター
  • 小林管
  • オーバーイグナイター
  • ミハラ強化クラッチキット

エンジンや出力に関係する部分の改造・変更は、おおよそこのあたりでした。圧縮比は約「12.2:1」程度、出力は160馬力、それでも決して速い方ではありませんでした。抜かれはしてもストレートで他車を抜けるようなことは、ほとんどありませんでした。ピストンは数種類使いましたが、一番長く使ったのが「ミハラワイセコ79mmピストン」でした。パワー優先ではなく、完全にコスト優先でした。

特別なことは、特にやっていません。インナーシムも、リテーナの消耗が激しいので途中で止めて、STDのアウターシムに戻しました。ただしバルブタイミングやクリアランス、組み方等は、自分なりに気を使ってやってはいました。

こうして書き出せば、それぞれの項目は特別な事でもなく、エンジンチューニングとしては昔から当たり前に行われてきた事ばかりです。ただ、同じ内容だとしても、作業者が違えば内容も変わるものです。ポートやクランクなど、削り方で特性は変わりますので、作業内容はより重要です。

当然、出力を大きくしようとチューニングすれば、その分リスクもあります。でも、そのリスクも許容できるような馬力やパワー、トルク、楽しみ、加速感などを手に入れられた時、喜びも大きくなるものです。そんな、ちょっと変わった感性の持ち主の方は、きっと私たちバイク馬鹿なオッサンたちと気が合うでしょう。

XJR1300というオートバイは、高回転で走るエンジンではないような気がします。そもそも、場合によっては150馬力も160馬力も出ているオートバイで、なかなか8,000rpmなど回せません。それよりも、立ち上がりのトルクや扱いやすさが、より重要な気がします。それは、速く走ろうとするサーキット走行だけでなく、楽しく走りたいストリートでも同じです。その上で、高回転まで軽く回るようなエンジンが出来れば、きっと最高です。

昔の写真を見ながら、思い出しながら書いてみました。エンジンも足回りもブレーキも他の箇所も、様々な事をしました。スイングアームの長さを変えたこともあります。ハンドルだけでも何種類も変えたことがあります。エンジンの仕様に至っては、簡単には書ききれないくらい、いろいろなことをしました。ノートに記載はなくても、きっとまだ、頭の中に残っていると思います。

求めるものは人それぞれです。パワーを求める人、調子の良さを求める人、ロングライフを求める人、他人と違うものを求める人、楽しみを求める人、速さを求める人、思い出を求める人・・・。私はきっと、楽しさを求めているような気がします。

XJR1200やXJR1300で、それらの事を求めている方は、もしかしたらお手伝い出来るかもしれません。最近は、バイク運搬も安くなりましたので、場合によっては遠方の方でもご対応が可能です。

まずはお問合せ、ご相談からお願いいたします。