SOHC製スペシャルピストンの今後

SOHC製スペシャルピストン
SOHC製スペシャルピストン

もしかしたら、一度は諦めていたSOHC製の超軽量なスペシャルピストンが、また製作出来るようになるかもしれない、という、なんとも耳よりな情報が、いきなり飛び込んできました。

ちょっと長くなりますが、順を追ってご説明します。

三菱重工相模原ダイナボアーズ
三菱重工相模原ダイナボアーズの試合会場

私は学生時代から、ずっとラグビーをやっていました。高校も大学もヘッポコな学校でしたので、全国大会などというものには無縁でした。ただ、クラブチームでプレイしていた20代後半から30歳過ぎまでの頃、チームの監督だった方がラグビー協会の役職も勤めていた方で、頑張っていると、時々ご褒美をくれました。

「おい高野、来週の日曜日に○○○のセレクションがあるから、○○グラウンドに9時までに来い!」

こんな具合です。もちろん行かないと、酷く怒られますので、時間前には指定されたグラウンドに行きます。すると、県内の様々な企業チームの選手たちがやってきています。ほんの少しですが、知った顔もいますが、ほとんどは知らない男たちです。大学を卒業して間もないと思われる選手もいます。皆、体格が良く、強そうです。しかも、大半は自分よりも若そうです。

2~3時間、練習をした後、紅白戦をします。周囲は、
『なんだ?このオッサン・・・』
といった目で見ているのでしょうが、頑張って走り続けて、タックルもし続けていると、紅白戦が終わる頃には、数人は認めてくれるようになります。気配や雰囲気で分かるものです。

セレクションで選ばれた後に連れて行ってもらうのは、国体や東日本社会人大会といった、ある程度は全国レベルの大会でした。ただそのような大会でも、当時強かった企業チームは、出場はしていませんでした。いろいろと、大人の事情や取り決めがあったようです。それでも、当時の自分にとっては、非常に有難いご褒美でした。

それから十年経った頃、
『おい、お前ももう40歳になるだろ!今度の日曜日、○○グラウンドに来い!』

お世話になっている方にそう言われたら、断れないのが「ザ昭和」の体育会系です。同じ大学時代から一緒にやっている同級のヤツと、指定されたグラウンドに行きました。

『お前たち、40歳になったか?』
「いえ、まだ39歳です。」
『そうか、じゃあ40歳になったことにして、不惑のメンバーになれ!』

不惑とは、都道府県に1つだけ存在する、40歳にならないと入ることの出来ない、ラグビーチームです。皆、オジさんになっているとはいえ、相当な顔ぶれです。テレビで顔を知っている方も、何人かいらっしゃいました。現役時代は、強豪チームの中心選手だった方も、いらっしゃいました。半強制で入会し(させられ・・・)、いろいろなところで試合させて頂きました。

39歳で、一番下っ端です。ちょっとずつ偉そうになってくる年代で、いきなりの下っ端扱いですが、怖そうなオジさん方、協会の関係者の方々、昔お世話になった先輩方、ラグビー業界では有名な諸先輩方などなど、たくさんいらっしゃいます。試合をする際は、相手方にも同様の諸先輩方がいらっしゃいます。気軽に文句や口ごたえなど、言えるはずもありません。

熊谷ラグビー場
熊谷ラグビー場

これは、熊谷ラグビー場です。ワールドカップの前に、綺麗なラグビー場に生まれ変わりましたが、ここは昔からラグビー専用の「ラグビー場」でした。40歳過ぎのオッサンのラグビーの試合も、このグラウンドでさせて頂きました。埼玉主催の、『神奈川 対 埼玉』ですから、熊谷ラグビー場での試合です。

当日、大学の対抗戦の試合がありましたが、なぜかバリバリの大学生が、雑草の生えているサブグラウンドで試合をして、オッサンの試合がメイングラウンドでした。しかも試合前に、試合を控えた大学の監督やコーチ達が、走って両チームのオッサンたちに挨拶に来ていました。私には、ただのいい年したオッサン達でしたが、協会の役員だったり学校の先輩だった元コーチだったりで、学生を放ってでも挨拶しないと、きっと酷い目に合うような方々だったのでしょう。

今で言えば、間違いなくパワハラになるのかと思いますが、昔の体育会系は、そのようなところでした。話をするだけで、上下関係もすぐに分かります。

横浜国際競技場
横浜国際競技場

ここは、横浜国際競技場です。確か現在では、NISSANスタジアム、という名称で呼ばれています。この競技場が出来てすぐに、「東京 vs 神奈川」の、オッサンの試合をさせて頂きました。ただのオッサンたちが、こんな素晴らしい競技場で試合をさせて頂くなんて、まさしく夢のようです。良い思い出です。

そんな生活を若い頃からしていたからか、大きな怪我を何度もしました。何度か手術もしました。入院もしました。レースよりも、間違いなく怪我は多かった気がします。

『親が死んでも正座はするな!』
若い頃、2度も膝の手術をしました。手術後、担当して頂いた先生から、そう言われていました。靭帯を2本切断し、半月板も殆ど残っていません。ラグビーには復帰できましたが、テーピングは欠かせない身体になりました。

そんなボロボロの体ですが、汗をかくような運動が好きで、体がナマったと感じると、よくジョギングや筋トレをしていました。汗をかいてゼーゼーすると、運動した気分になれるのです。もちろん、ダイエットにも効果的でした。

しかし、いつの頃からか、走ると古傷の膝が痛むようになり、数日間は階段も登れない程痛むようになりました。膝に負担を掛けないよう始めた散歩では、物足りなくて、疲れたり汗をかくこともなく、運動した気が全くしません。


SOHCピストン、また造れそうです!

SOHC製スペシャルピストン
軽量なSOHC製スペシャルピストン

前置きが長くなり過ぎましたね。本題は、ここからです。

散歩の代わりに、自転車で走るようになりました。汗もかけるし、ゼーゼー言うような、息が上がる感覚も味わえるからです。ただし、やる気のカッコ良い自転車ではありません。筑波にも持っていく、折りたたみ自転車です。ポンコツおやじには、ちょうど良いです♪

近くの相模川沿いに、よく自転車を走らせます。ヨシムラの前も、何度も通りました。昔の、赤白のステッカーと同じデザインで屋根にロゴが書かれた社屋ではなく、キレイな建物に変わっていました。周りも工場だらけです。川沿いの通りからどこを曲がれば良いのか、分からなくなりました。そりゃそうですよね。ウン十年前の記憶ですから。

先日は、逆方向の下流に向かって自転車で走りました。いつも同じ道だと飽きますので、知らない道も良く走ります。川沿いの道は飽きた、ということで、知らない住宅街の中に入りました。しばらく走ると、なんだか見たことのある大きな建物が、目に入りました。

近くに行ってみると、やっぱり♪、です。それは、SOHCエンジニアリング様の側にある、公民館の建物でした。日曜日の夕方でしたが、自転車でそのまま行ってみると、ナベさんがいました。

『なんだ?どうして自転車なんかで来たんだ?』

あれこれと話をするうちに、ピストンの話になりました。
『今、まだ交渉の段階だけど、上手くすればピストンの材料を仕入れられそうなんだよ♪』

『そうしたら、またピストンを造ろうと思っているんだ。』


またピストン製作が、可能になりそうです。

SOHCエンジニアリング様がピストン製作を止めたのは、材料が入荷できなくなったからです。私や渡辺さんが製作をイヤになった訳ではありません。材料が入らなければ、どうしようもないですからね。

『材料が入るようになったら、またお願いします♪』
ナベさんからそんな風に頼まれるなんて、初めてです。大丈夫ですか・・・?

でも、また製作できるようになれば、楽しめるXJR1300乗りも、きっと増えるのでしょうね。

まだ材料の交渉の段階ですので、実際に作れるようになるのは、まだまだ先かと思います。もちろん、詳細は何も決まってはいません。SOHC様には、時々寄りますので、進展があれば、またお伝えしたいと思います。

今度は、桜の咲く頃に、また自転車で行こうかな・・・