思い出・・・

私は基本的には、1台のオートバイに集中して作業したい為、またパーツが混同するのを避けるため、複数台を同時に作業することは好みません。特にエンジンは、パーツ混同も起きやすいので、できるだけしないようにしています。

ただ、そうは言っても、無理な場合もあります。なぜなら、信頼してくださったお客様を、あまりお待たせしたくないからです。

フルカスタム車両は、足回りのパーツ待ちの時間が長く、その間に1台、エンジンを仕上げてしまおうと思っていました。しかし、思惑通りにはなかなか進まないものです。

シリンダーヘッドにダメージがあり、内燃機屋さんに加工依頼をしましたが、年度末で仕事が集中しているようで、こちらも少しばかり待たされています。

そんな中、後輩君のレーサーエンジンを1機、作ることになりました。腰上は以前に後輩君に渡しており、私の手持ちの腰下エンジンと合わせて、エンジンを作ります。

春のレースに間に合わせるには、逆算すると時間はありません。加工や発注部品もいろいろとあります。

その後輩君、R1や出来上がったレーサーではブンブンと走りますが、チューニングエンジンを作ったりレーサーを造るような腕も知識もありません。全てが人任せです。

当然ですが、時折怒ったり催促したりと、イライラすることもあります。

そんな慌しい中、友人数人から連絡がありました。

「K君が、亡くなった・・・」


1ヘアでの出来事

K君のことは、30年前には知っていました。サーキットで会えば話をする程度でしたが、当時から速かったことだけは、確かです。

多少、クラスや時代が異なっていましたので、あまり同じクラスを走ることは無かった気がします。テイスト、というレースに出るようになって、そんなK君と一緒に走る機会が増えました。

K君の乗るオートバイはいつも完成度が高く、その腕前もあって、常に私のオートバイよりも速かったものです。初めてテイストで一緒に走った時は、雨の予選では辛うじて私の勝ちでしたが、決勝レースではストレートであっさりと抜かれ、僅差の2位でした。

それから、何度一緒に走ったことでしょう。勝ったり負けたり負けたり・・・。

数えたことはありませんが、おそらく、勝った回数よりも負けた回数の方が多いと思います。でも、楽しかったなぁ~。後姿、カッコ良かったなぁ~。

K君はスタートも上手でしたので、大抵1コーナーでは私よりも前にいました。

あるレースで、案の定出遅れた私は、K君の真後ろに付けて、抜くチャンスをうかがっていました。そのレースでは、私の方がほんの少しだけ速く走れたので、抜きたくて抜きたくて、ウズウズしている状態でした。

でもK君もA級です。簡単に抜かせてくれる訳もありません。何度かインを差しても、その都度、ふさがれていました。K君のオートバイが何だったかは記憶にありませんが、我慢の限界に来た私は、1ヘアピンのインに無理やり飛び込んでいきました。

当然、オーバースピードです。譲らないK君もアウトから被せてきて、K君の左側にぶつかることとなり、そのまま2台で転倒して、リタイヤしました。

『高野さん、ひどいなぁ~。あんなぶつかり方をして!』
とK君が言ったので、
「お前が遅いくせに譲らないから、ぶつかったんじゃないか!」
「インに入られた時点で、譲れば良かったんだろ!」

そんなやりとりをした記憶があります。

いわゆるレーシングアクシデントだと思いますが、良く知っているK君でしたので、
「じゃあ、今度晩飯でもおごるよ♪」

ということになり、夕方の時間に私が都内まで出向き、レストランで晩ご飯をご馳走しました。

『高野さん、使えるフロントフォーク、無いですか?曲がっちゃったので。』
「そんな物、無いよ。このハンバーグでチャラな。」

ご飯を食べながら、そんなやりとりをした記憶が、うっすらと残っています。K君とプライベートで会ったのは、これが最初で最後だった気がします。

レースで他のライダーを巻き込んで転倒したことは、これ以外にも何度もありますが、ご飯をご馳走したのは、後にも先にもこの一度だけでした。

K君と一緒に写っている写真を探すと、これが1枚だけ出てきました。どこかのサイトで拾ったものかもしれません。

レース後のパレード

もう15年以上前かと思います。この頃、一時期だけですが、お立ち台に上がった後、オープンカーに乗せられてパレードランをしました。

位置を見ると、私は3位でK君が2位です。1位は、皆さんよくご存知のカワサキのT君です。まあこの二人には、ドライで勝った記憶は殆どありませんので、順当な順位だったのでしょう。

その数年後、雨のレースでしたが、やはりK君の真後ろにいた私は、抜きたいのに抜けず、無理して転倒したことがありました。

まあこの歳になると、記憶がゴチャ混ぜになっていますので、ハッキリと明確には覚えてはいません。でも、気がつけばいつも側を走っていた気がします。

そんなK君は、私より年下ですが、突然居なくなってしまいました。


お別れ・・・

K君とは、プライベートでの付き合いはありませんでした。携帯番号も知りませんでした。一緒にお酒を飲んだこともありませんでした。

でも、近所に住むレースの後輩君が、「一緒に行きましょう!」というので、お通夜に行ってきました。

昔、一緒に走った懐かしい顔が幾つもありました。何人にも、声を掛けられました。

今ではすっかり速くなって、全然遊んでくれなくなったコーイチから、
「高野さんとKさんの写真を見て、俺はテイストを始めたんですよ。だから高野さんだけは、まだ止めないでくださいね。」

と、ちょっとホロッとくる言葉を言われました。

何人かの方から、
「もう身体は大丈夫なんですか?ヘリコプターにも乗ったって聞きましたよ。」
とも言われました。

はい、身体は全く問題ありません。大丈夫です!

もう少しだけ走ろう!と思っている、今日この頃です。走れなくなったK君のためにも・・・