秋のテイスト、ヤマハ車ピンチです。

雨の中のテイスト・オブ・ツクバ決勝レース

先日の日曜日、秋のテイスト・オブ・ツクバが開催されました。前回のブログでもお話しましたが、今回は20年ぶりに欠場することにしました。

とはいえ、レースが終われば電話が掛かってきます。LINEもきます。自分が普段出場しているクラスの様子が、リザルトを見なくても、段々と分かってきました。


どうした?YAMAHA乗りは!

私は、レース活動のほとんどをYAMAHA車に乗ってきました。テイストも、初回こそはカワサキでしたが、2度目からはずっとYAMAHAです。

もともとテイストは、ヤマハ車は少数派です。なんと言っても、カワサキが多いです。私の走っているクラスも、カワサキ車が大多数を占めています。

そんな数少ないヤマハ乗りですが、今回はさらに減ってしまったようです。

今はFZ750に乗るM君

長くニンジャに乗っていましたが、最近はFZ750をベースにした車両で走っていたM君です。

レース歴は長く、30年くらい前にも、同じレースを走ったことがあるようです。

「部屋の片付けをしていたら、1990年ごろの鈴鹿6耐のリザルトが出てきたんですよ。高野さんに勝っているかなぁ~、と思って調べたら、負けてました。」

「だろ~~~(笑)。」

そんな会話を何年か前にしましたが、最近は、走っている姿を見かけません。今回も出場しなかったようです。

そういえば、大きいバイクに乗るのが辛くなったと、2年ほど前に言っていました。10年以上も、勝ったり負けたりしながら一緒に走ってきましたので、居なくなると寂しい気がします。

ちなみに、昔、鈴鹿6耐を一緒に走ったペアライダーは、海のおじさんです。3回目で、やっと完走できました。苦労したけれど、良い思い出です。


FZ750に乗るK君

FZ750に乗るK君です。
彼も、随分と長くテイストに出ていますが、何故か今回は欠場したようです。

初めて見た頃は、確かニンジャに乗っており、目の前でハイサイド転倒して、危うく轢きそうになりました。

今思えば、ブレーキを掛けなくても良かったかな、と思っています。

いつだったか、その事を話すと、
「止めてくださいよ。高野さん、ヒドいなぁ~」と言っていました。

そんなK君は、上で紹介したM君の弟分で、名前は知っていましたが、初めて顔を知ったのは、まだ5、6年前の事です。

海のおじさんのもてぎのレースで、最終ラップの最終コーナー立ち上がりでガス欠したヤツに、スリップに入っていた海のおじさんが突っ込んで転んだ、という出来事がありました。その時にガス欠したヤツが、K君でした。

数年前のテイストのレース日、パドックでM君を見つけたので、聞いてみました。
「子分のKって、どんなヤツ?どこにいる?」
『何かあったんですか?』

「もてぎで、ガス欠させて海のおじさんが突っ込んだらしいじゃん。」
『あっ!!!』

M君は走ってピットに行き、K君を連れてきました。
「おまえがKか!ガス欠させて、海のおじさんを転ばせたらしいな。」

それ以来、K君には必ず「ガソリンは満タンにしたんだろうな!」と言っています(笑)。


S君

彼は、以前に私が走らせたことのあるスペシャルフレームの二号機をカタクラから借りて、テイスト車両に使用しています。

エンジンも、カタクラで面倒を見てもらってレース活動をしています。

春のテイストで、私より少し前に同じコーナーで転倒し、私よりも長く入院していました。

転倒の際、エンジンに砂を吸い込んだようで、今回は出場を見送るのかと思っていましたが、なんとエントリーしていました。社長に無理を言って、エンジンを直してもらったようです。

ただ、身体は元に戻っておらず、しかも練習でまた転倒し、ケガをしたそうです。なんとか予選だけは走ったようですが、決勝の出場は見送ったのでしょう。


前回のテイストでケガをしたおじさんです。

こちらは、前回のテイストでケガをして、ヘリコプターのお世話にまでなったオジさんです。

実は今回、半分は走るつもりでいたようですが、さすがに自重しました。

たまには皆の言う事をきく素直な心は、まだ失ってはいなかったのですね。


雨のテイスト

3年前、雨のレースがありました。この時は、珍しくお立ち台のてっぺんに上ることが出来ました。珍しくM君にもK君にも勝つことができました。お立ち台に上がるなんて久しぶりすぎて、いつ以来だったのか聞かれても、答えられないくらい久しぶりでした。

良い思い出となった雨のレースのお立ち台
黒いツナギがM君です。

良い思い出となった雨のレースのお立ち台
そのレースで6位になったのがK君です。

長くやっていると、良いこともあるんだなぁ~、神様ってご褒美をくれるんだなぁ~、と思いながら、久しぶりにお立ち台に登りました。

レースが終わってスロー走行している時、「海のおじさんたちも、少しは喜んでくれるかなぁ~」と思いましたが、ピットに戻っても、誰も喜んではくれず、皆が一斉にカッパを脱がせ始めました。着ていた合羽があまりにも古くて汚いので、写真に撮られても恥ずかしくないように、一刻も早く脱がせたかったようです。

年季の入った汚いカッパで走った、3年前のテイスト
年季の入った汚いカッパで走った、3年前の雨のテイスト

今どきのレース用カッパは、伸縮性があって、ツナギのロゴも見えるように透明で、しかも膝パッドまで付けることができます。

一方、私の青いカッパは・・・

30年以上、レースでもツーリングでも着ていたものです。昔の筑波3耐でも、鈴鹿8耐でも、もてぎ7耐でも、SUGO6耐でも、数々のツーリングでも着た、思い出の詰まった愛着のあるカッパです。

このカッパ、ツナギの膝や肩に入っているパッドにすら対応していない古いものですので、無理やり着ると、特に足が寸足らずになります。いろいろなところがバタつきます。ですから、腕や足の数箇所をガムテープで留めて、バタ付きを防いでいました。

でも、仲間たちには、なぜかボロ雑巾にしか見えないようです。しかも、とうとう膝に穴が開いてしまいました。両膝ともに、です。この時の良い思い出と引き換えに、かけがえの無いカッパが、天に召されてしまいました。

この時、久しぶりのお立ち台で居心地の悪い思いをしていると、どこからともなく、こんな声が聞こえてきました。

『30年前と、顔ぶれが変わってないなぁ~!』

長~くレースを走っているオッサンたちばかりじゃないか!といった、微笑ましい野次と受け取りましたが、本音はどうなんでしょうか・・・。おまえ達、いつまでやっているんだ!という、否定的な野次ではなかったと思いたいものですが・・・。

確かにこの時の3人共、鈴鹿6耐を経験しているはずですので、古~~いオッサンたちなのは、間違いありません。でも、今でもこうして元気に走っているだけで素晴らしい!という事にしておいて下さい。もう走るな!と言われたら、やはり寂しいですから。

汚いカッパ姿のレース動画は、こちらで見ることが出来ます。

話が横道に逸れましたが、この4人は全てヤマハ乗りです。それでなくてもヤマハ乗りが少ないレースです。なのに数少ないヤマハ乗りが、一つのクラスで4人も決勝を走らなかった事になります。

チームヤマハ、ピンチです。