20年ぶりに・・・

茨城県の片田舎に「筑波サーキット」はあります。初めて行ったのは、もうかれこれ35年くらい前になるでしょうか。

ここで年に2回、『テイスト・オブ・ツクバ』という、バイク馬鹿の集まる大人の大運動会のようなレースがあります。

テイスト・オブ・ツクバ

初めて出場したのは、確か1994年だったと記憶しています。その当時は、「テイスト・オブ・フリーランス」という名称でした。
1992年の間違いでした。1994年は、既にXJR1200で走っていました。)

「乗ってみないか?」という有難いお誘いがあり、オレンジ色に塗られたニンジャで走りました。初練習で、前回の優勝タイムを簡単に超えることができて、ヤル気満々で迎えたレース当日、同じクラスにイエローコーンのマシンに乗る、知った顔がありました。イヤな予感は、その時すでにありました。

お互いに、「おまえが出るのか・・・」と思ったのは、言うまでもありません。

予選は雨でした。今のようにレインタイヤなど使えません。なんとかポールを!と思ってドライタイヤで走り、1コーナー侵入で転倒したものの、ポールが取れました。

しかし・・・

決勝レースは僅差で負けてしまい、2位でした。

あれから何度、『テイスト』というレースを走ったでしょうか。数えたことはありません。でも、24年も経っています。


何故、走っているのか・・・

オートバイが何故、好きなのか・・・
どうして、いつまでもレースなんてやっているのか・・・

テイスト・オブ・ツクバの決勝レース中、FZS1000にて

難しく考えたこともありませんので、自分では良く分かりません。ただ、走るのが好きだから・・・。そんな答えしか浮かんできません。

初めてオートバイに乗ってから、もう随分と月日は経ちますが、今でもオートバイに乗ることが大好きです。それがサーキットとなると、なおさらです。

好きだからやりたい、好きだから止めたくない・・・気が付いたら、この歳になっていました。

同級生の海のおじさんとも、いつまで走れるのだろう・・・、といった話を良くします。彼は今でも、もてぎを57秒で走っています。守るものも捨てるものも無い男、と思っていましたが、そんな彼でも、同じような事を考えているようです。

もてぎでポールを獲得した、海のおじさん
もてぎでポールを獲得した、海のおじさん

ドゥカティ乗りには有名ですが、チーム・ファンデーションというショップの名越さんという方がいます。今でも現役で走られている方で、年齢も私よりも上の先輩です。

以前からお互いに顔や名前程度は知っていましたが、特に話をするといった間柄でもありませんでした。

ここ数年、筑波でお会いすると、向こうから近寄ってくれて、いつしか年齢の話になります(笑)。いつまでこんなこと出来るんだろう…、といった内容です。

名越さんは、「走っている時間が愛おしいんだよね!」と言っており、ケガをした後、その気持ちが何だか少しだけ、分かるような気がしました。

名越さんも、走るのが大好きな方です。「ボク、60歳になって60秒を切るのが夢なんだよね。」と言って、見事に切りました。さすがです!

私は、60歳までまだ時間はありますが、切ろうと思って頑張ってみました。でも、コンマ1秒足りませんでした。切れそうで切れないタイムは、6年前から何度も出ていますが、それ以上を狙うと、いつも転倒です。まだまだ修行が足りませんね。

今度、ドゥカティを購入した友人の付き合いで、初めてショップに行ってみようと思っています。その時は、歳の話はしないでおきましょう。


20年ぶり

テイスト・オブ・フリーランス、と言われていた時代に、一度だけエントリー落ちしたことがありました。20年くらい昔のことです。

エントリー申込みが締切日に間に合わなかった訳ではありません。エントラント(出場者)からも人気があって、出場クラスのエントリー台数が規定人数を超えたためでした。

いつも、エントリー開始日には申し込んでいたのですが、その時だけは3日ほど、いつもより遅くなっただけです。それでエントリー落ちです。

XJR1300でのテイスト決勝レース
XJR1300でのテイスト決勝レース

今度の日曜日、秋のテイストが開催されます。エントリー落ち以来、20年間も走り続けていましたが、今回だけお休みすることにしました。

一番大きな理由は、春のテイストでの転倒です。身体のダメージだけでなく、その後にいろいろと重なり、決断しました。

ツーリングでは問題なく走れますし、走る事が怖くなった訳ではありません。母親へのケジメです。

母親は、私が退院した日に、それを待っていたかのように亡くなりました。ヘリコプターで搬送された病院からほど近い病院に、入院していました。レースの1週間前に病院まで送った時は、自分で歩いて病室に行くほど、まだ元気でした。

私が入院している間に、一気に悪化していったようです。まだ私が入院中、病院に無理を言って外出させて頂き、母親の病院に行きました。私の顔をジッと見て、小さなカスれるような声で、「そんな程度で済んで、良かったね。」と言いました。

妻や娘達、妹達にどのように聞いていたのかは分かりません。ただ、いい歳したおっさんが、レースで転んで母親に心配を掛けたことだけは、確かです。その時の言葉は、今でも脳裏に焼きついています。

雨の中のテイスト・オブ・ツクバ決勝レース

若い頃から、出かけるごとに「気をつけて行くんだよ。」と言ってくれました。レースを止めろ、と言われたことは、一度もありません。ただ、気をつけてこい、と言うだけでした。

若い頃から、ラグビーとオートバイに夢中でした。何度もケガをしました。何度か入院も手術もしました。でも、止めろとは、一度も言われませんでした。

30歳近い自分の娘達を見ていると、小さい頃と全く変わっていない気がすることがあります。可愛くて、幼くて・・・。

テレビの前で寝転がって馬鹿笑いしている娘に、「おまえは幼稚園の頃と全く変わってないなぁ~」と言ったら、『おばあちゃんから見たら、パパも同じなんだよ。』と言われた事があります。

自分から見たら、ただのバアちゃんでしたが、その時初めて、母親の気持ちが少しだけ分かったような気がしました。

その3ヵ月後、14年飼っていた犬も亡くなりました。バアちゃんが寂しくて連れて行ったんだよ、と姪っ子たちは言っていました。「だって、パパさんはまだ早いでしょ?」

最後まで心配を掛け続けたバカ息子でしたが、一度くらい言う事をきいて、今回だけは大人しくしていようと思います。